▼ 永正年
間(1500年頃)、姫路城主の小寺則職(こてら のりもと)の執権である青山鉄山(あおやま てっさん)が業務上横領をしようとしていた。
それを、この青山家に住み込んでいたお菊が探知して、忠臣の衣笠元信に知らせて、この横領を防いだ。
しかし、鉄山はその後、城主則職を追放し、城主となった。
ある饗宴の時、お菊が密告者と気づいた鉄山は、家来の町坪弾四郎に調査を命じた。お菊が好きだった町坪弾四郎は、お菊に言い寄ったが拒否されたので、家
宝の10枚揃いの皿の1枚を隠して、お菊を責め殺し井戸に投げ込んだ。
その後、毎夜この井戸から皿を数えるお菊の声が聞こえたということです。
やがて元信らが、鉄山一味を滅ぼし、お菊は「於菊大明神」として、十二所神社の境内に祀られたそうです。播州皿屋敷で知られる悲しい話ですが、話は、こ
れだけに終わりません。
その後300年程経って姫路城下に奇妙な形をした虫が大量発生したそうです。人々はお菊が虫になって帰ってきたと言っていたそうです。
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▼お菊が投げ込まれたと言う姫路城内の井戸
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▲ たし
かに、ジャコウアゲハの蛹は、後ろ手に縛られた和服の女性と見れないことはありません。
この様子から、ジャコウアゲハの蛹のことをお菊虫と呼んだようです。
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▼ 姫路城から1km、姫路駅か
ら数百メートルのところにある十二所神社境内にあるお菊神社。ここにお菊が祀られている。
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この神社の由来は微妙に姫路城の
説明と違う。以下、境内の説明では
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お菊神社 由緒
祭神 三菊大明神 菊姫命
播州皿屋敷「お菊物語」の
菊女は、姫路二代城主(当時姫路城は二層)小寺則職(こでらのりもと)の奥女中として仕え、主君則職若くして病床に伏し、菊女病気平癒祈願のため、当十二
所神社に参籠し、心願叶い則職全復す。
病気全快に事よせて、悪家
老青山鉄山は町ノ坪弾四郎等一味と語り、天正二年(1505年)増位山に観桜の宴を催し、則職に鳩毒を盛った酒を勧め、主家を横領せんとしたが、菊女の内
通により衣笠靱負介等忠臣の知るところとなり、危く難をのがれ則職は、家島に り再起を計る。
主家を横領した鉄山は、小
寺家の家宝「赤絵の皿」十枚に珍味を盛り、祝杯を上げた。皿の管理を命ぜられた菊女は、弾四郎の奸計により皿一枚をかくされ、皿改めの場にひきだされ、日
夜はげしい折檻を受け、古井戸に吊るされ、二十一才の妙令を一期に無惨な最後を遂げました。
菊女の霊は、主君則職を家
島より導き、青山鉄山・町ノ坪弾四郎等、悪の一味を滅亡し本懐を遂げました。
小寺加賀守則職は菊女の忠
節に感じ、神徳あつき十二所神社の境内に祠を建て、霊をまつりて、ねんごろに慰めたと云う
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