りは、もう薄暗い。満月のはずだが月はまだ見えない。
満潮の時間がせまっていた。
いつもは来ないところまで潮が来ている。姿は見えないがザワザワザワと音
がして二人が進むにつれカニが逃げ隠れするのが分かった。
もうそこは海だ 草が潮に漬かっている。明夫は入り江の奥にこれほど潮が
上がっているのを見たことはなかった。波打ちぎわを奥に進むためには飛び越
えるには少し大きすぎる小川を渡らなくてはならない。普段は運動靴でも水は
入らない深さなのだが。
小川の中ほどに倒木があり ちょうどそこに足をかければ渡れそうだ。しか
し倒木は海水につかっており長靴でなければ無理だ。明夫は倒木に乗り対岸へ
渡ってみた。着いたと同時に黒い影がいくつかザバザバと海のほうに飛び立っ
た。
明夫は一瞬たじろいだ。
頭の上をクワァ クワァと鳴きながら鳥が谷のほうに飛んでいった。
『五位鷺だぁ』という美奈子の声でほっとした明夫は渡った先の葦を少し踏
み倒し、また戻った。そして片足を対岸に もう片足は倒木に乗り美奈子を呼
んだ。
ためらうズックの美奈子を促し両わきに手を添え「跳んで」と声をかけた。
美奈子は岸をけり宙にスローモーな弧を描いた。そのとき明夫は予想外の重さ
を手に感じた。そしてその重さとは不釣り合いな柔らかさを手のひらに感じた。
一瞬それが何であるのか分からなかった。あらためて明夫は手に感じた美奈子
の胸の感触に彼女が女であることを思った。勢いの止まらない二人は、そのま
ま対岸の葦原に抱き崩れた。
まっ白な一瞬の静寂のあと二人に海と森の音が戻った。
明夫と美奈子は肩をよせ海を見た。
もう海と山との境は はっきりしない。
その闇い海の上を森からの風に流されまいと懸命に飛ぶ蛍の光が二つ揺れて
いた。