短編小説・童話


散文

普通の通勤電車

 私は、朝の六時きっかりにFM横浜の時報で目を覚ました。いつものように

 いつもの時間に家を出て、早くもなく遅くもない早さで歩いてきっかり22分

 後、駅の改札をすり抜けた。ホームを少し歩いたところで何人かいる列の後ろ

 に並ぶ。向こうのホームの様子に気を向ける余裕ができた途端その視界を電車

 が遮った。

  ドアがあく。いつもと違って人が降りてこない。降りる人がいないのを確か

 めたと同時に、乗ろうとする人の列は前へ進んだ。しかし前のほうで何かが起

 こったのだろう列の人々は前へ進めず押し合いになった。列の前の人から電車

 には乗らず脇にずれている。私が先頭になった、一瞬立ち止まり中を窺った。

  車両の中はいつもと違った様子はなかった。ただ空いている席が目立った。

 みんなが乗らない理由が分からないまま私は乗った。特急でもない、ゲロが吐

 かれているわけでもない。だだ少し車内が赤味がかった感じがした。前後の車

 両ではもう人は乗り終えた様子だ。

  ドアは閉まった。この車両には私だけが乗った。電車はいつもどおり出発し

 た。

  乗らなかったホームの人々が私を見つめている。中には、まるで私を恐れて

 いるような目もあった。私もドアの前に立ち、目だけ動かし彼らを追った。

  電車の加速に逆らう必要がなくなった頃、回れ右をし、ひととおり車内をゆ

 っくり見回した。

 「・・・こせつはんにゃはらみったしゅ・・・・・ぎゃあていぎゃあていはら

 ぎゃあていはらそうぎゃあていぼうじそ・・・・・」と閉じた目に涙をにじま

 せ何かを唱える青年が向こうの席に座っている。

 小さな女の子を連れた大声で歌う四十才くらいの少し太った女が隣にいる。

 OLを蹴ろうとしている紳士がいる。OLは紳士に向かって激しく罵っている。

 電車のドアの上の横長の広告のずれを直して回っている少年。見れば車内中が

 皆同じ赤一色のタバコの広告だった。また、その少年は、ガラスに張られた透

 明の広告シールが少しはがれているところは一生懸命押えつけて行った。

 大声を出しパンパンと手を打つおじさんもいる。

 中年男のように唾を吐くおばさんをみつけた。

 みのむしのように釣革にぶら下がりながら寝ている若い子。

 托鉢の僧。

 後ろ向きに背を合わせ押し合っている二人のサラリーマン。

 床をヤモリのように這っているひとは何かを捜しているようだ。

 ちょっとみると十八九だがよくる見ると三十才くらいの女と目があった。彼女

 は、ただ座っているだけであった。ただ、じっとこちらを見ながら少し頷いた

 ような気がした。そのうなずきの意味がわからず、顔は彼女のほうを真っ直ぐ

 向いたまま目だけ少しそらして考えた。

 以前どこかで会っただろうか…………………

 年が違うのだから学校で会ったんではないな………

 しかし、頷きの理由は何も思い浮かばなかった。

  電車は次の駅に停車した。ほかの車両には、いつものように通勤の人々が乗

 っていった。私は発車間際で無性に降りたくなった。しかし、次の電車では遅

 刻してしまう。その迷いがそのまま行動となった。電車とホームを行ったり来

 たりした。そのたびにドアも何度も閉まりかけ開いた。最後はホームにいる時

 にドアは閉まってしまった。スピードをあげる電車を見送った。最後尾の車掌

 が目をつりあげ、こちらに向け、こぶしを振り上げていた。

  次の日同じ時間に同じ電車を待ち、あの車両を捜した。すごいスピードで入

 って来る電車の中を追うには首を早く振ってまるで電車のまえで「いやいや」

 を激しくしているようにするしかなかった。電車の速度が落ちるとともに首の

 振りもゆっくりになっていた。

 しかし、昨日の人たちはいなかった。しかたなくその電車に乗った。昨日の人

 たちと女が、いないかとスピードをあげる電車の中からホームの人々を追った。

 ホームから離れる間際には猛烈に首を振るしかなかった。

  それから毎日この繰り返しだ。いつも首を振っている。

  私を見つめる回りの目が、あの人たちを見る目と同じことに気づくのに、そ

 う日にちを要しは、しなかった。

 

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