表.1 経過の出典

文春 : 『週刊文春』9月28日号(1995)「生存者を見殺しにした空白の14時間」
朝日文庫 : 「日航ジャンボ機墜落」朝日新聞社会部編(朝日文庫)
新潮 : 日航機墜落の御巣鷹山「アイソトープ騒動」『週刊新潮』昭和63年8月11.18日号
疑惑 : 角田四郎著 『疑惑 JAL123便墜落事故』(早稲田出版)
  年月日 時刻   内容 出典
機内 1985/8/12 18:12   羽田を離陸  
機内 1985/8/12 18:24   機体後部に爆発音を聞く 文春
機内 1985/8/12 18:25   高浜雅己機長が東京航空交通管制部(東京ACC)にトラブル発生を告げる 朝日文庫P5
米軍機内 1985/8/12 18:51   C-130で「横田基地が123便に緊急着陸の許可を出したのが聞こえた」 文春
機内 1985/8/12 18:56   墜落推定時刻 文春
位置 1985/8/12 18:56   東京ACC(運輸省航空交通管制部)のレーダーから123便の機影消える。(墜落推定時刻)  
位置 1985/8/12 18:57   (C-130の)「レーダーから消えた」 文春
現地 1985/8/12 19:19   米軍のC130機が大きな炎上物を発見した。「1919、ラージ・ファイア、フロム・ヨコタ、305(度)34(マイル)」 朝日文庫p29
情報 1985/8/12 19:20   埼玉県・入間の航空自衛隊中央救難調整所(RCC)を経て、米軍輸送機C130からの連絡が、防衛庁空幕に入った。 朝日文庫p35
現地 1985/8/12 19:20   C-130乗員が墜落現場発見 文春
位置 1985/8/12 19:21   百里基地のF4が現場上空に達した 文春
位置 1985/8/12 19:21   茨城県・百里基地を緊急発進していたF4ファントム戦闘機、2機が現場上空に到着した。やはり米軍機同様、タカンによる現場位置の報告をした。いずれも長野、群馬、埼玉の三県境付近(御巣鷹の尾根もここにある)で炎を確認したものであった。  
情報 1985/8/12 19:30   航空幕僚監部広報室にC130の情報が入る。横田から305度、34マイル 朝日文庫p29
位置 1985/8/12 19:30 直後 航空自衛隊F4EJ戦闘機式地二尉からの報告「炎を確認、横田タカン(TACAN=戦術電波航法標識)から300度、32マイル」 朝日文庫p35
位置 1985/8/12 19:40 ごろ C-130は発見から約20分上空600メートルで旋回し正確な位置を割り出し横田基地に連絡する 文春
組織 1985/8/12 19:45   藤波官房長官が首相公邸に戻る。 朝日文庫p37
組織 1985/8/12 19:45   警察庁「総合対策室」を設置 朝日文庫p37
組織 1985/8/12 19:47   中曽根首相が静養先の軽井沢から首相公邸に戻る。 朝日文庫p37
組織 1985/8/12 19:50   長野県警 臼田署内に「日航機墜落事故対策本部」を設置。 朝日文庫p37
組織 1985/8/12 19:50   長野県警 北相木村役場内に「日航機墜落事故現地指揮本部」を設置。 朝日文庫p37
組織 1985/8/12 19:50   長野県警 警備二課内「日航機墜落事故対策連絡本部」を設置。 朝日文庫p37
組織 1985/8/12 19:54   百里救難隊のV107ヘリが離陸 朝日文庫p37
組織 1985/8/12 20:00   群馬県警が警備二課に「日本航空機行方不明事故対策室」を設置。 朝日文庫p60
組織 1985/8/12 20:16   藤波官房長官が首相と事故の対応策について協議し政府対策本部の設置を決めた。 朝日文庫p60
放射性物質 1985/8/12 20:16 ごろ 警察庁に日本アイソトープ協会から「事故機にラジオアイソトープ92個が積まれている」との連絡が入る。 朝日文庫p60
位置 1985/8/12 20:21   長野県警臼田署のパトカーから「埼玉県と群馬県境あたり(峠から見て南東の方向)に黒煙が見える」 朝日文庫p60
現地 1985/8/12 20:30 ごろ このときまでC-130は上空を旋回 文春
組織 1985/8/12 20:33   是枝航空長から航空自衛隊への災害派遣要請があった。 朝日文庫p38
組織 1985/8/12 20:35   藤波官房長官が政府対策本部の設置と第一回会合の開催を指示。 朝日文庫p60
現地 1985/8/12 20:40   航空自衛隊・百里基地の航空救難隊のヘリコプターKV−107機(バートル)が現場上空到着。  
位置 1985/8/12 20:42   自衛隊ヘリV107が現場確認「横田タカンから299度、35.5マイル」 朝日文庫p63
現地 1985/8/12 20:50   C-130は海軍の救助隊のヘリの明かりを確認 文春
現地 1985/8/12 21:05 ごろ ヘリは「煙と炎が濃過ぎて着陸できない」といってきた。 文春
現地 1985/8/12 21:06   朝日新聞社の取材ヘリが現場の炎を確認。このとき炎の上で超低空飛行をしている捜索ヘリも見ている。これについては一九九五年になって米海兵隊救難チームのヘリであことが判明した。 朝日文庫p71
現地 1985/8/12 21:20   司令部よりC-130及び海軍に帰還の命令が出る 文春
現地 1985/8/12 21:20   C-130の上空900メートル上空に日本の飛行機が旋回しているのを認めた。 文春
  1985/8/12 21:30   群馬県警が「日本航空機行方不明事故対策本部」を設置。 朝日文庫p62
  1985/8/12 21:30   陸上自衛隊に災害派遣出動要請が出る。 朝日文庫p79
位置 1985/8/12 21:39   埼玉・長野の両県警のパトカーが三国峠から西北西の方向に赤い炎を確認する。 朝日文庫p80
位置 1985/8/12 21:59   自衛隊空幕から運輸省運用課に現場の位置が「長野県北相木村御座山北斜面」との連絡が入り捜索隊の多くがこの方向に向かった。この位置は千葉県嶺岡山のレーダーから消えた位置(北緯36度02分、東経138度41分)であった。 朝日文庫p80
組織 1985/8/12 22:30   政府対策本部が設置される。本部長、山下運輸相。副本部長は二人の官房副長官と運輸省の政務、事務両次官。本部員に、内閣審議室長、厚生省社会局長、運輸省航空局長(代理)警察庁警備局長、総務庁交通安全対策室長、防衛庁防衛局長、自治省消防庁長官、科学技術庁原子力安全局長、国土庁防災局長 朝日文庫p81
放射性物質 1985/8/12 22:30   政府事故対策本部にアイソトープが詰まれていたことが報告された。 新潮
組織 1985/8/12 23:00   首相官邸で政府対策本部の第一回会合が開かれる。 朝日文庫p81
位置 1985/8/12 23:30   長野県警は御座山の捜索結果から「現場は群馬県内と判断している」との見解を発表する。 朝日文庫p82
情報 1985/8/12 23:35   朝日新聞社のヘリ「ちよどり」が二度目現場に着く。「はるか下方に自衛隊機と思われるヘリ一機。青と赤のライトが点滅している。」 朝日文庫p89
位置 1985/8/13 0:15   朝日新聞社のヘリ「ちよどり」が引き返すことにする。二回目の計測をしたが一回目と変わらなかった。 朝日文庫p89
  1985/8/13 0:36   KV-107が埼玉県入間基地を離陸する 朝日文庫p100
放射性物質 1985/8/13 1:00 ごろ 陸上自衛隊東部方面総監部に陸幕からアイソトープの第一報が伝えられ、その内容は十二師団に伝えられた。 新潮
組織 1985/8/13 1:00   群馬県警が上野村役場に現地対策本部を設置 朝日文庫p100
位置 1985/8/13 1:00   KV-107が「入間から291度方向、36.3マイル」の測定。しかし「実際には上野村にいた警察車両らしい車の位置をぶどう峠と誤認した。「ぶどう峠から210度・・・」はこの情報 朝日文庫p100
位置 1985/8/13 2:00 すぎ 防衛庁が「長野県南相木村御座山南斜面、頂上から1キロ」の情報を流した。(ぶどう峠から210度、3マイル) 朝日文庫p99
位置 1985/8/13 4:39   航空自衛隊救難ヘリKVー107が群馬県上野村の御見鷹山近くの尾根に激突している日航機の残骸を発見。  
位置 1985/8/13 4:39   墜落地点の確認 文春
放射性物質 1985/8/13 4:50   科技庁が「アイソトープは人体に支障なし」を発表 疑惑P38
  1985/8/13 4:58   関東地方日の出 疑惑P38
位置 1985/8/13 5:05   東部航空方面隊第十二飛行隊のヘリ偵察によって遭難現場が確認される。 新潮
位置 1985/8/13 5:10   V-107ヘリより「三国山西3キロ、扇平山北1キロ」と現場位置を通報(これは長野県側になる) 疑惑P38
位置 1985/8/13 5:10   自衛隊立川基地からのOH6型へりが現場を測定「御座山東方約5キロ」(これはぶどう峠にあたる) 疑惑P38
位置 1985/8/13 5:37   長野県警のヘリも現場を確認する。  
  1985/8/13 5:37   長野県警のヘリ「やまびこ」が「御巣鷹山南南東約2キロ、県境から東方700メートルに機体散乱。現場は群馬県側」と通報。 疑惑p39
現地 1985/8/13 8:49   陸上自衛隊第一空挺団(習志野)の部隊がヘリから現場への降下を始める。  
現地 1985/8/13 8:49 のあと 測定機材をヘリで運び調べる(放射能について) 新潮
現地 1985/8/13 8:49   陸上自衛隊の救援部隊が初めて現場に下りた 文春
現地 1985/8/13 9:25   7時55分に長野県警のレスキュー隊員が現場から2〜3キロ下流の沢にヘリから降下し、水平尾翼の落下現場に到着する。 朝日文庫p145
現地 1985/8/13 9:30   上野村消防団の救助隊も現場到着 朝日文庫p145
現地 1985/8/13 10:15   群馬県警機動隊も到着。 朝日文庫p145
現地 1985/8/13 10:54   生存者の発見 文春

更新日 99/08/12
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