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もう一つの事故とは
事故機は離陸に先立ち、日航の東京空港支店航務部と通常の交信を交わ
していた。その中に、17時37分航務部から123便への、次のような連絡も含まれていた。
「はい、えー、それから123、危険品の搭載がございます。RRWとRRY、locationは貨物のほうからお聞き下さい。」
ここにあるRRWとRRYは航空業界で使用されているコードで、いずれも放射性物質をさし、RRWは第1類白、RRYは第2類黄・第3類黄と危険度別に分
類されている。
墜落からおよそ1時間半後の20時すぎ、日航からではなく日本アイソトープ協会から事故機にラジオアイソトープ72個が積まれていることが警察庁に届け出
された。一部報道機関によれば、後日の調査の結果わかったとされているが、日本航空幹部によれば事故機の部品としてウランが使われていることも事故直後に
当局に伝えたという。科学技術庁も当初からウランについては承知していたと話している。これ以後、科学技術庁原子力安全局では明け方まで協議が続けられた
ようだ。
事故後5時間以上たち、日付が13日になり『放射性物質事故対策会議』が設置された。この『対策会議』は前年に放射性物質輸送に関係する各省庁で構成さ
れた連絡会で、放射性物質の事故の時、様々なことに対応するため設置することが決められていた。その初めての活動だったが、その存在や活動は、ほとんど知
られていない。
13日0時55分、災害派遣の出動要請があった陸上自衛隊東部方面総監部に陸幕からラジオアイソトープの第1報が入った。内容は、医療用アイソトープ
71本を積んでいるというだけで、詳しい内容や人体への影響はわからなかった。さらに「この情報は必要なところ以外流すな」という注意書きつきだった。こ
のラジオアイソトープ搭載の情報は現地の第12師団に伝えられ、この時点で陸上自衛隊東部方面総監部ではジャンボ機の位置がわからないことに加えラジオア
イソトープの危険性のためとして隊員の夜間投入は断念し、本格的な捜索は夜明時としたということでした。さらに、大宮の化学防護隊に応援を依頼した。
ラジオアイソトープについての連絡を受けた第12師団では、捜索にあたっている自衛隊員にたいして「現場付近に到着しても、別命あるまで現場には立入る
な」という命令が出された。
事故機に搭載の放射性物質が救援活動に支障無しの判断がなされたのは、緊急事態発生から10時間25分後の、翌13日午前4時50分だった。
事故現場の黒煙を前にしながら、陸上自衛隊松本連隊の捜索隊は「別命あるまで現場には立入るな」という命令の解除指令が届かず、現場到着が遅れるという
事態も起こっていた。
9時前に空挺団がヘリから現場への降下を始めたあと、はじめて自衛隊では放射能測定を行った。このころ消防ルートでもラジオアイソトープの取り扱い上の
注意が流され始めた。
事故から2日たった14日(火)日本ラジオアイソトープ協会の職員が現地で放射性物質の回収にあたった。
また、この日の午前9時から事故調査委員会の要請をうけた日航職員が現場入りをした。
最初の現場は水平尾翼の落下しているところだった。このとき同時にウラン重りの捜索もしていたそうだ。
事故から3日たった15日(木)、初めて科学技術庁の職員が現地に入り調査をした。
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放射性物質が救援活動に支障無しの公表は
事故発生から10時間後だった
事故機に搭載の放射性物質が救援活動に支障無しの判断がなされるま
で、ないしは公表するまで10時間近くもかかったのは、なぜだろうか。 積み荷のラジオアイソトープなどの放射性物質で毒性の強いものがあり、その毒性の
減少に時間を要するものがあったからだろうか。
事故後、現場の地表面で最大3ミリレントゲン/時の放射能があり、現場の土は自然界の数十倍に放射能汚染していることが明らかになっている。しかし、こ
の値は、ある程度時間がたったときの測定であり、事故直後では、もっと高い測定値であったことがうかがえる。
あるいは、部品のウランや放射性物質の救助隊への影響がどのようなものか、判断しきれないでいたのか。いずれにせよ時間がかかっている。
放射性物質輸送事故時対策会議や原子力安全局で何がどのように検討され、「救助活動に支障無し」の発表に至ったかの詳細は、わからないが、現場は、積み
荷の放射性物質の全量が漏れ、ウランの全量が燃え、現場は、相当量の放射能汚染に見舞われているという最悪の場合も十分考えられる状態だった。そして、そ
の汚染の状態がどの程度かを知るには、まず放射能測定用の資機材を用意しそれを現場に運び、専門家を現地に派遣し、防護服を着て、放射能の測定をする必要
があったと思われる。しかし、それは、実際に実施されたかどうかいまのところわからない。
事故対策会議は「一、極めて少量である 二、長時間身体に密着しないかぎり人体への影響はほとんどない 三、事故で四散、蒸発したとみられる」として
「救助活動に支障無し」の発表をした。現場が「確定」した13日午前4時39分の11分後の発表だった。もはや事故機を前にして救助隊を待機させておくわ
けには行かないということだったのか。
放射性物質輸送中の事故の場合、複雑な要素が重なり合い被曝による二次三次災害もあるなど、その対策に注意を必要となるが今回の事故で飛散したラジオア
イソトープなどの取り扱い上の注意が流されたのは、早くとも、ヘリから自衛隊員が現場へロープで降り立った8時頃で、現場へ向かう救助隊や報道関係者に正
確に伝わったかどうかはわからない。
さらに、事故機にウラン重りが使われていて、これがなくなっていたことが明らかになったのは8日経った8月20日だった。しかも、新聞のスクープだっ
た。日本航空社内では公表すべきかどうかの議論がされたが科学技術庁の意向により公表を控えることになったという。この間、事故現場にはウランの存在を知
らされぬまま、救助隊・事故関係者・取材、報道関係者など何千という人々が足を踏み入れていた。
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積み荷の放射性物質
原子番号が等しく質量数が異なる核種を互いに同位体と呼ぶが、このう
ち放射性崩壊するものをラジオアイソトープまたは放射性同位体や放射性同位元素という。同位体は、それぞれ化学的性質は同じだがラジオアイソトープは放射
能をもつことなどから工業、農業、医療、教育・研究で広く用いられてる。物質の移動や流れなどを追跡するための目印にしたり(トレーサー)、放射線を発生
させる源として利用されている。その利用事業所等の数は1985年の時点で4千以上におよんでいた。従ってその輸送も陸海空にわたり頻繁に行われていた。
問題のジャンボ機にもこのラジオアイソトープを含め合計92個、容器も含めた重量約239キログラムの放射性物質が積まれていた。
国内で使われるラジオアイソトープは、そのほとんどが輸入されている。飛行機で成田まで運ばれ羽田を経由して各地に航空便で運ばれている。日にち単位、
時間単位でその効果が薄れるためその週に使うラジオアイソトープは週はじめに羽田を経由して各地に航空便で運ばれていたという。このため週はじめの夕刻の
大阪行の便はラジオアイソトープ輸送の定期便であった。それは今でも変わらないそうだ。
積まれていたものは、日本アイソトープ協会(72個)と医薬品メーカー2社(20個)が京都大学放射性同位元素総合センターや大阪大学など関西の大学や
研究所に出荷したものだった。1つの梱包のなかには数個の容器が入っており、この容器の数は281個あった。ただ、その積み荷の放射性物質の種類や、それ
ぞれの量などその全容について科学技術庁は数年間、正式な公表をしていなかった。
積まれていた14の核種の内、公表された7核種を見てみよう。事故後、数カ月間の新聞報道では放射性物質の種類=核種は14とされていたが航空機事故調
査委員会の報告では13に訂正された。
そのうちの一つトリチウムは発光塗料として工業や研究用に使われる放射能を出す水でその半減期は12.3年。これは、容器が壊れた場合、昇華してしまい
大気中に拡散してしまう。同じく昇華するものに炭素14がありトレーサーに用いられている。半減期は5千7百3十年。放射性医薬品として使われているもの
にヨー素131(半減期8.05日)、ガリウム67(半減期77.9時間)、ガン治療に用いられるモリブデン99(半減期67時間)、同じく医療用のヨー
素125(半減期60.2日)が積まれていた。ヨー素131は容器が壊れ大気に拡散したり土壌にしみ込んだりした模様。そのほか、トレーサー用のリン32
(半減期14.3日)が公表されていた。
事故後数年して公表されていなかった核の種類が判明した。そのなかには、プルトニウムと同様、原子力施設での取り扱いにおいて極めて高度の危険度を有す
るため、設備および量が制限されているアメリシウム241という放射性物質が含まれていた。
判明した13種類の核をみるとガンマ線を出す核種はほとんどがその半減期が数時間から数日だった。さらに半減期の長いものはアルファ線やベーター線を出
すものが多く、通常多く使われるガンマ線測定器では検出されないものであることがわかった。
表.2 日本航空123便積載アイソトープ回収状況
表.3 積載アイソトープ・核燃料物質
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放射性物質輸送容器
放射性物質はその放射能の量などの程度に応じ容器や梱包の仕方が違
う。ラジオアイソトープや核燃料物質などの放射性物質とそれらにより汚染されたものなどを容器に入れた状態のものを輸送物といい、事故機にはL型という輸
送物が74個、それより放射能がつよいA型輸送物が18個、計92個あったといわれてる。いずれも、この輸送容器の安全基準には、飛行機墜落炎上事故まで
は、考えられている物ではなく、鉛の容器やガラス製アンプルに詰められたものをダンボールや発泡スチロールなどの緩衝材で覆ったもので1辺約30センチ
メートルの立方体をしている。その最も厳しいB型輸送物の基準では、9メートルの高さからの落下、温度800度に30分の条件で一定量以上の放射能の漏洩
や核分裂が臨界に達しなければ良いというものだ。現に放射性物質は漏れた。
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放射能量はどれくらいか
積み荷の放射性物質の総放射能量は約162ミリキュリーで、そのうち
回収されたものは、およそ65%の約105ミリキュリーで他の57ミリキュリー(21億9百万ベクレル)は環境に放出した。容器の数では総数281個のう
ち回収されたのは68個だった。
事故により環境に放出された放射能量はどの程度なのだろうか。例えば、原子力安全委員会が1980年6月に出した「原子力発電所等周辺の防災対策につい
て」にある原子力災害時においてやむをえず放射能によって汚染されたものを飲食するときの指標によれば、ヨー素131で飲料水では1リットルあたり100
万分の3ミリキュリー(111ベクレル)以上あってはならないとなっている。また、同じヨー素131で、日本の核燃料再処理工場での1年間の放出管理目標
値は170億ベクレルとなっている。
事故機に放射性物質が積まれていたこと、それらの漏洩・放出事故は事態の動きにとって無視できないことではないだろうか。
放射性物質積載の飛行機が墜落した場合、その漏洩・放出によるニ次災害の有無の検討がなされて当然だし、逆にその検討がなされず不用意に事故機に近づく
ことも避けなくてはならない。
すくなくとも、事故機の捜索にあたった陸上自衛隊員に対しては、放射性物質が積まれていたことから事故機を発見しても別命があるまでは、近づくなとの命令
が出されていた。しかし、他の消防や民間の捜索隊、報道関係者に近づいてはならないことが伝わっていたのだろうか。事実、何も知らない民間人が公的救助隊
より先に現地入りしていた。
さらに事故機にはウランが248キログラム積まれていた。
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部品のウラン
日航ジャンボ機に積まれていた放射性物質はラジオアイソトープだけで
はなかった。機体の部品にウランが使われていたのだ。ウランは1立方センチメートルあたり19グラムと、鉛(比重11.3)の2倍近く比重がある重金属の
ため、かさを取らずに重さが得られることからフラッター=自励現象といわれている尾翼などの機体の振動を防止するための重り(バランス・ウェート)として
取り付けられていた。
ウランのほかタングステン製(比重19.1)の重りも使われていたがウランのほうが安価だったため、これを使っていたという。
事故機では、垂直尾翼の上側方向舵(アッパー・ラダー)の8ケ所に12個、水平尾翼の外側昇降舵(アウトボード・エレベーター)の6ケ所に6個、合計24
個の重りが取り付けられていた。水平尾翼の4個のみがタングステン製で、他の20個、重量にして248キログラム(政府発表では243キログラム)がウラ
ン重りであったといわれている。その他主翼の補助翼(エルロン)など機体の振動を押えるため重りが取り付けられていることもあるということだが、事故機に
は、使われていなかったようだ。
尾翼に取り付けられていた重りは、三角柱の形をしており小さいものでは一辺約5センチメートル、長さ25センチメートルのものから翼の幅が大きくなるに
従い順次大きくなっている。
ウラン重りは、腐食が激しいため、その表面はカドミウム・メッキがされてる。また、ウラン重りから出るアルファ線を遮断するため緑色の特殊な塗装がされ
ていた。さらに表面には劣化ウラニウムであることや、部品番号、取り付け向きや位置が表示されていた。
取り付けは、軸をはさんで舵面の反対側に突き出た梁におこなわれ、重りに埋め込まれているナットに梁側からボルトを通し行われていた。ウラン重りは、
切ったり削ったり出来ないため、バランスの微調整用として板状のタングステン製重りが三角柱のウラン重りの舵面側の面に、やはりボルトで取り付けられてい
た。
事故機などの部品として使われているウランは、核兵器や原子力発電所の核燃料を造る一過程である天然ウランの濃縮過程でできるカスであることから「劣
化」ウランと言われてる。劣化ウランは核分裂性のあるウラン235が天然の比率である0.7%以下の約0.3%で、他が天然に存在するウラン238である
ことから「放射能レベルはきわめて低く肌身に付けなければ大丈夫だ」(辻栄1科学技術庁原子力安全局長)との発言がされている。しかし、ウランは235も
238も放射線を出す放射性物質で、劣化ウランの主成分であるウラン238は半減期が45億年でアルファ線およびガンマー線を出し、放射能毒性に加え化学
毒性もある。
東京消防庁で出した危険物質が、からんだ災害時の活動のマニュアル(「化学薬品データハンドブック」昭和58年3月)によれば、ウランの許容濃度は空気
1立方メートルあたり0.25ミリグラム(1グラムの4千分の1)としている。さらにその毒性については「水銀の毒性に似た強い毒性をもち肝臓障害および
慢性の腎臓障害を起こす」とも記されている。
この劣化ウランを使用した砲弾=劣化ウラン弾は、1991年の湾岸戦争でイラク軍戦車の破壊用にアメリカ軍がはじめて使用された。さらに先のNATO軍
によるユーゴの空爆でも大量の劣化ウラン弾が使用されその汚染が憂慮されている。
ウラン238は,天然では比較的安定した状態にあるが「製品」の劣化ウランは金属ナトリウムに似た可燃性の金属で、空気中では赤熱酸化し、
150〜170℃で燃え、八酸化三ウラン(U3O8
)となりる。特に、粉末では自然発火してしまう。以上のことから、劣化ウラン重りの取り扱いは、放射性物質としての面と発火物としての両面から行われてい
た。劣化ウランの塊をそのままの状態で空気中に置いておくと腐食するため塗装などが行われるがこの作業は、放射線を浴びるため、一日4時間以内とされてい
た。また、熱処理加工をする場合には発火防止のため真空中や不活性ガスの中で行われる。切削する場合などは燃えないよう水中で行われたり、切削冷却材が使
われる。切り屑は放置しておくと発火するため難燃性の油の槽に保管しなくてはならない。また、水中に放置すると水と反応し水素を発生する。機械的性質も温
度によって変化したりするなど、取り扱いに特別な注意が必要な材料を航空機部品として、しかも飛行機の空中分解を招くフラッター、機体の振動を押えるとい
う重要なところに、安価なため使っていた。
他の飛行機にも使われているウラン重り
ウラン重りは、航空機ではコンベア990から使われ始めたそうだ。そして、事故当時には他の多くの飛行機に使われていた。日本の航空会社で使われている
のは、1985年の時点で、日本航空では、事故機と同型のボーイング747で48機中35機に、ダグラスDC10型では20機すべてに取り付けられてい
た。全日空とて例外ではなく、ボーイング747型の17機中9機、L1011型機(ロッキード・トライスター)の12機すべてにウラン重りが使われてい
た。その他、日本アジア航空に2機あるボーイング747にも使われていた。
事故直後、日航広報部の話では、安全のため機体に使われているウラン重りの一部は、タングステン製に取り替え、新たに作る機体にはウランは使わないとい
うことだった。
劣化ウラン重りの法律上の扱い
劣化ウラン重りは、法律上どのように扱われているのだろうか。「原子力基本法第3条第2号」を見てみよう。
「『核燃料物質』とは、ウラン、トリウム等原子核分裂の過程において高エネルギーを放出する物質であって、政令で定めるものを言う。」とある。
さらに、「核燃料物質、核原料物質、原子炉及び放射線の定義に関する政令第1条第2号」では、「原子力基本法第3条第2号の核燃料物質は、次に掲げる物質
とする。(2)ウラン235のウラン238に対する比率が天然の混合率に達しないウラン及びその化合物」となっている。
劣化ウラン重りは、正真正銘の核燃料物質として取り扱わなければならないことになってる。
したがって、この劣化ウラン重りを使うにあたっては、使用の目的や使用場所、貯蔵施設の構造などを書いた申請書を内閣総理大臣に提出しなくてはならない
(旧原子炉等規制法第52条第1項)。そして、事故当時この許可を得て、日本航空でばジャンボ機導入のとき申請し羽田と成田で、全日空は羽田の整備工場で
劣化ウラン重りを使っていることになっていた。ただし、羽田所轄の消防署で把握している量は貯蔵量のみで、日航では747ハンガーで200キログラム、全
日空は機体工場で182.5キログラムがあるのみとなっていた。
劣化ウラン重りを扱う作業では、整備士はポケット線量計を身に付け、作業するたびに被曝線量記録を取っていた。そして、4半期(3ケ月)ごとに作業者の
被曝線量を放射線管理報告書として科学技術庁原子力安全局長に提出したという。
法令に定められた、電離放射線に関する特殊健康診断も行っているということだった。
このように整備工場では放射性物質として取り扱われているものが部品として機体に取り付けられてしまった場合、ただの通常の部品になっていた。
劣化ウラン重りを貨物で運ぶときの手続き
部品として使われている劣化ウラン重りを仮りに機体から取り外した状態で積み荷として航空機輸送する場合には、どのような措置が必要なのか。
事故機に取り付けてあったのと同じ量の劣化ウラン248キログラムの場合について見てみよう。
劣化ウラン248キログラムの放射能量はおおよそ90ミリキュリーあり、原子力発電所で使われるウランの燃料集合体がだいたい一個で50から100ミリ
キュリーある。放射能量ではほぼ同じ量となる。また劣化ウランにも少ないとはいえ核分裂性のあるウラン235が含まれていて、248キログラム中には約
700〜800グラムあることになる。したがって、これを運ぶには、核燃料輸送物として、現行の様々な安全対策と手続きを経なければならない。
まず核燃料物質は、その放射能の強弱や核分裂性の程度に応じた容器に入れて運ばなくてはならない。この容器は通常、あらかじめ科学技術庁などからその仕
様・設計書について安全基準に適合していることの設計承認をうけ、これに基づき製作され登録してあるものを使う。そして輸送の都度、輸送される核燃料輸送
物と、その輸送方法が安全基準に適合していることの確認がされ科学技術庁によって車両運搬確認証が公布される。実際には承認容器による運搬物の場合でプル
トニウムなどのほかは、政府により指定された機関が行うよう法律が変わり、財団法人・原子力安全技術センターが指定された。なお、この核燃料物質を陸上輸
送する場合には、あらかじめ出発地の公安委員会に届け出て出発地と到着地、およびその経路にあたるすべての公安委員会の運搬証明書の交付を受けなければな
らない。東京都の昭和62年度予算では運搬証明書の交付による警視庁の手数料収入を160件、144万円と見積っていた。
航空機輸送の場合も陸上などの輸送と同様、核燃料輸送物は放射線の危険の度合いに応じL型、A型、BM型・BU型などに区分され、また核分裂性のある輸
送物では臨界の危険性に応じ第一種から第三種までの核分裂性輸送物に区分されている。そして、このいずれかの形で輸送しなければならない。輸送の仕方の基
準の内容は、コンテナなどに入れて運ぶ場合、数量の制限があったり、放射能の程度によりコンテナの表面にラベルや表示をしなくてはならない。機内での移
動・転倒防止措置や客室など旅客が通常使用する区画での積載禁止などもある。そして、客室や操縦室から決められた距離以上のところに積載しなければならな
い。
また、航空会社は、放射性物質を輸送する路線の客室乗務員、運行乗務員のそれぞれについて年間被曝線量を記録・報告しなくてはならない。
さらに放射性物質を輸送する場合事故時の措置は輸送当事者にまかされているので、本来は、その体制も整えなくてはならない。日本航空では、1982年に
「事故処理業者」と事故処理の年間契約を結び始めたという。
放射性物質・核燃料輸送物として劣化ウランを運ぶ場合には少なくとも以上のような、手続きと対策が必要なのだ。ところが、毎日のように空を飛んでいても
部品としての劣化ウランは文字どうり、ただの部品の扱いでしかなかったようだ。しかし、実際には今回のような事故時には明確に放射性物質として対応しなく
てはならなかった。
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放射性物質の航空機輸送事故時の対策
放射性物質の輸送容器はどんなに頑丈に作られていても100%安全と
いうことはありえない。今回の事故では263ノット(時速約500キロメートル)の速度で山腹に激突してしまった。さらに、多量の航空機燃料が燃え、
800度を越える高温が何十分も続いたと思われる。このような条件下でも耐えられる輸送容器を作るのは、難しい。
では、一方で事故が起きてしまった場合の対策はどのようになっているのでろうか。
例えば、放射性物質を輸送中に火災事故が起きた場合、消防機関がどのような消火・救助活動を行えば良いかについて自治省消防庁、科学技術庁、日本原子力
研究所、運輸省、茨城県などの担当者によって構成された「放射性物質輸送時消防対策研究会議」で1980年前後から検討されていた。
この検討の過程で、核燃料物質輸送事故は輸送内容、輸送形態、輸送方法など複雑多岐にわたっており、事故の想定が非常に難しく科学技術庁による事故想定
の内容が出るのを待つことになった。しかし、ついに科学技術庁の結論は出なかった。このため消防マニュアルは実践的というよりも入門書のようなものになっ
た。しかもこれは、陸上の車両輸送が対象であり、航空機事故・海上輸送事故は、対象とはされていない。
一方、事故の際の関係機関の対応の仕方などについては、科学技術庁、運輸省、警察庁、消防庁、海上保安庁などで構成されている「放射性物質安全輸送連絡
会」で検討されていた。
この連絡会から偶然にも日航ジャンボ機事故の起きた前の年、1984年2月24日に「放射性物質輸送の事故時安全対策に関する措置について」というもの
が出された。ここではじめて関係省庁間の連絡・通報体制や役割分担が決められた。また、事故が起こった場合には、放射性物質輸送事故対策会議を設置し事故
情報の収集・整理・分析、係官・専門家の現地派遣、対外発表などを行うことにした。そのほか専門家をあらかじめ指名しておくこと。現地における事業者・警
察・消防などの対応の仕方。国が「マニュアル作成要領」を作り、これに基づき関係省庁が事業者に対し指導を行うようにすること、などが盛り込まれた。
しかし、実際の事故を考えた場合多くの課題があった。例えば「事業者の講ずべき措置」では事業者が放射線のモニタリング(測定)をしなければならないと
か、消火・輸送物への延焼防止、立入り制限区域の設定、放射線障害を受けた物の救出などをしなくてはならないとなっているが具体的には、対象とする物質ご
とに対応方法が違うため複雑多岐にわたってしまう。また、「事業者の講ずべき措置」のなかに「放射能の除染」があるが、飛散した放射性物質の回収も、これ
にあたる。日航ジャンボ機事故では、刑事事件でもあり、機体は全て証拠品となる。被告人が証拠品を回収するという、ややこしいことになる。事実、ことの重
大性を考えていた日航職員らは事故調査官の指示もあって20〜30人で14日、水平尾翼のウラン重りを探したという。しかし、この様子は、報道関係者らの
目に触れ当事者が事故調査に係わることの問題を指摘されることになった。これは、なにも航空機事故のときだけではなく、他の場合でも刑事責任を問われる事
故当事者が事故現場で応急処置や放射性物質の回収をすることになる。関係省庁・機関の連絡調整にしても実際にはこれに自衛隊や在日米軍が絡まってくる。埼
玉県大宮市にある自衛隊の生物・化学・核に関する部隊も日航ジャンボ機事故の際、出動体制をとろうとしたという。また、在日米軍には、核処理班も存在する
という。
ともかく、日航ジャンボ機事故の際この「放射性物質輸送の事故時安全対策に関する措置について」に明記されていることがうまく機能したのだろうか。放射
性物質輸送事故対策会議が開かれたのは日付の変わった13日になってからで、専門家の派遣はその翌日の14日だった。
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原子力災害の事故補償は
100%安全な容器はない。事故が起こったときの各種損害に対する補
償はどのようになされるのだろうか。
気付いた人もあるかと思いうが、普通どの損害保険の約款を見ても、保険金を支払わない場合として『核燃料物質(使用済み燃料を含む)もしくは核燃料物質
によって汚染されたもの(原子核分裂生成物を含む)の放射性、爆発性その他の有害な特性またはこれらの特性による事故』のことが書かれている。
これは、原子力災害については別の法律「原子力損害の賠償に関する法律」(原賠法)と「原子力損害の賠償補償契約に関する法律」(補償契約法)があるか
らで、一般の原子力事故のときは、アメリカのスリーマイル島原発事故の時の対応のように世界の核事故とリンクしている東京都中央区八重洲にある原子力保険
プールという会社で扱っている責任保険で賠償され、その他責任保険では免責される天災、正常運転時などによる損害については政府の扱っている補償契約に
よって補償されることになっている。また、賠償措置の当時の額は核燃料物質の輸送で10億円、使用済み燃料の運搬になると60億円、原子力発電所では
300億円となってた。輸送に関しての責任保険・補償契約は1981年では66件、854億円、1982年には106件、1004億円と原子力発電の増加
にともない年々増えてきている。裏を返せば、それだけ担保すべき危険が増大しているといえる。ところが、この保険では、身体や物に直接損害を与えた場合に
限られていることから、放射能汚染事故による農産物や魚介類の価格の下落による被害や、避難などに要した費用などは賠償の対象になっていない。さらに、放
射性物質の災害の場合、その放射能の性質から人体にたいして、すぐに障害が表われるとは限らず10年20年後に障害が表われて来る。この場合、そのときの
事故と障害の因果関係を立証するのは非常に難しい。
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行方不明のウランは、どこへ消えたか
劣化ウランは事故のときどうなったか。結局、回収されたのは装着され
ていた劣化ウラン重り20個の内、右水平尾翼の4個と左水平尾翼の1個だけで、あとの15個は、いまだに行方不明となっている。
科学技術庁では、その行方について次のように言っている。「回収されていない劣化ウランのうち垂直尾翼の部分に装着されていた12個、約123キログラム
については、事故調査委員会の経過報告によると、垂直尾翼の一部は相模湾あたりに落下した可能性があるとされているので、劣化ウランも(これと1緒に)相
模湾に墜落していると推定している。また、左水平尾翼部分に装着されていた3個、約45キログラムは、墜落現場付近の密集した山林中に墜落しているのでは
ないかと推定している」そして、尾翼が最初に接触した地点から尾翼の破片が発見された扇状の地域や胴体部分の落下した区域を捜索したという。
しかし、「放射線レベルが非常に低い」からこれ以上範囲を広げないとの答だった。
確かに、かれらも答弁しながら首をかしげるように、水平尾翼の不明劣化ウラン重りは、おかしな無くなり方をしてる。
水平尾翼は、ほぼ原形をとどめた姿で事故現場で発見されており、尾翼本体からはなれて発見された外側昇降舵も含め、飛散した部品は9割以上回収されてい
る。したがって、劣化ウラン重りだけが行方不明となっている。事故よりちょうど60日後の10月11日、大掛かりな探査と汚染状況調査が行われたが劣化ウ
ラン重りは、ついに発見されなかった。燃えていれば救助などで現場へ行った人々への放射能汚染や化学毒性による被毒の可能性が無いとは言いきれない。
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劣化ウラン重りと事故原因
事故原因と深く係わる機体尾部は劣化ウラン重りとともに相模湾に沈ん
でいるという。1987年11月のモーリシャス沖での南アフリカ航空のジャンボ機ボーイング747−200Bコンビ型の墜落事故については、水深4,
400メートルの海底の残がいを引き揚げる計画があった。相模湾は200〜300メートルの深さしかない。
日航ジャンボ機の事故原因は、事故調査委員会の報告では、ボーイング社の圧力隔壁の修理ミスにより、これが破壊し客室内から空気が突出し尾翼を破壊、油
圧配管を損傷、操縦不能に追い込んだというものだが、これに疑問をもつ人は多い。
事故調査に関する聴聞会では、小林繁夫東大教授が自励振動についての検討を要望した。事故調査委員会では、この現象が起きたとすれば、少なくとも破壊の
10秒前には、現象が発生していなければならないが、DFDR(デジタル飛行データ記録装置)には前兆の異常振動は記録されていないとしている。しかし、
小林教授は、DFDRのデータと尾部の構造破壊についての関係が解明されていないことを指摘している。
フラッター防止に深く係わる劣化ウラン重りが何らかの形で事故原因に関係していることも考えられないことではない。
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お
わり |
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以上から二つの仮説が考えられる。一つは、救助の遅れの原因は、事故
機に搭載の放射性物の放射能が弱まるのを待っていたからだということで、早くから現場に飛来し救助のため地上に降りようとしていた米軍が突然撤退した原因
も、日米のテリトリーや面子が理由のように扱われているが、実はこの放射性物の存在が理由ではないだろうか。
いずれにせよタカンや、レーダー、航空機による現場位置は正確に事故現場を示しているのに、いざそれを地図上に落とす段になりいずれも大きくずれてしま
うのは考えにくく、何らかの意図が隠されていたのかもしれない。二度の長野情報の原因が解明されれば、また、事故対策会議の内容が明らかになればすべてが
はっきりする。
もう一つの仮説は、事故原因が圧力隔壁ではなく、垂直尾翼に取り付けられていたウラン重りの脱落による尾翼の破壊ではないかということだ。この点に付い
ては今回多くの調査ができなかったが、本件事故で急減圧は無かったといわれている点などから、垂直尾翼破壊が先にありその後油圧系統の破壊に繋がったいう
考え方も成り立つ。ただウラン重りの脱落、フラッターの発生、垂直尾翼上部の破壊というシナリオは仮説としても根拠がまだ希薄といえる。しかし、国内航空
各社のウラン重りはタングステン製に取りかえられている点や最新のジャンボ機は垂直尾翼が改造されているようなので、安全サイドに改善が加えられたといえ
る。
いずれにせよ上記2点は、あくまでも仮説なので、これを補強したり否定するような情報があれば是非下記アドレスまでお寄せください。特に関係者からの情
報を待っています。
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使用資料 |
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運輸省航空事故調査委員会 「航空機事故調査報告書、日本航空株式会社所属、ボーイング式747SR−
100型JA8119、群馬県多野郡上野村山中、昭
和60年8月12日」昭和62年6月19日
運輸省航空事故調査委員会 「日本航空株式会社所属、ボーイング式747SR−100型、JA8119に係わる航空事故調査につ
いて」昭和62年6月19
日
加藤寛一郎著 「壊れた尾翼」技報堂出版
朝日新聞社会部編 「日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時」
参議院内閣委員会会議録第4号 昭和60年12月10日
日本原子力産業会議発行 「原子力ポケットブック」
三島良績編著 「核燃料工学」同文書院
「産業中毒便覧」医歯薬出版
海外技術資料研究所発行 「1万3千種化学薬品毒性データ集成」
日本科学者会議編 「原子力発電」
日本弁護士連合会 公害対策・環境保全委員会編集 「核燃料サイクル施設問題に関する調査研究報告書」
IATA(国際航空運送協会) 「IATA DANGEROUS GOODS
REGULATIONS」(IATA危険物規則書)
東京消防庁 「化学薬品データハンドブック」(昭和58年3月)
8・12連絡会原因究明部会 「ボーイング747(JA8119号機)はなぜ墜落したか」
集英社 「WEEKLY プレイボーイ」1985/11/26 NO.49〜 NO.54連載
神浦元彰『日航ジャンボ機墜落・混乱の初動捜索を追う』
毎日新聞、朝日新聞、読売新聞、原子力産業新聞の記事
原子力安全委員会月報8(8)1985
参考文献・資料
吉岡忍著 「墜落の夏 日航123便事故全記録」新潮文庫
鶴岡憲一・北村行孝著 「悲劇の真相 日航ジャンボ機事故調査の677日」読売新聞社
柳田邦男著 「事故調査」新潮社
角田四郎著 「疑惑 JAL123便墜落事故」早稲田出版
8・12連絡会(日航機事故被災者家族の会)編 「再びの おすたかれくいえむ」毎日新聞社
川北宇夫著 「墜落事故のあと」文芸春秋
「日航123便に急減圧はなかった」日乗連パンフ 1994.APR
事故機の放射性物質について扱った文献
「DAYS JAPAN 1988 8」 「日航機墜落現場、核汚染で自衛隊に立ち入り禁止令」文/神
浦元彰 写真/広河隆一
「週刊文春’95.10.26」 「日航機事故に史上最悪の放射能汚染危機」
「週間新潮 1988.8.11.18」 「日航機墜落の御巣鷹山アイソトープ騒動」
その他JAL123便の事故についての出版物
池田昌昭著 「JAL123便墜落事故真相解明」文芸社
山崎豊子著 「沈まぬ太陽 御巣鷹山編」新潮社
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